最近、ずっとそうなんだ、そうなんだ、と 繰り返し思い出すようにしている話を2つ、ご紹介します!まみ助ようするに・・・自分の中の思い込み、の話!野生の子象を捕まえて来て、 小さな木に縛りつけておきます。 最初、子象は逃げようとして、 一生懸命、木を引っ張りますが、 子象のチカラではどうにもなりません。 やがて、子象は木を引っ張るのをあきらめて、 木につながれたまま、大人しくなります。 しばらく時間が経つと、子象は成長し、 大きな大人の象になります。 しかし、その大きな象を縛りつけているのは、 相変わらず、小さな木のまま…。 大きな身体の象からしたら、自分よりずっと 小さな木に縛りつけられているので、 その場面だけを見た人は違和感を感じますが、 それでも象は逃げようとしません。 今の成長した大きな象のチカラなら そんな小さな木から逃れるのは造作もないハズ。 しかし、子象のときの記憶が こびりついているため、 「もう無理。逃げられない…」と あきらめてしまっているのです。まみ助「子象の話」もうひとつ、別の同じような話で ノミをガラスコップの中に入れ、上部をガラスフタでふさぎます。 見ていると最初、ノミはコップの外に出ようと一生懸命、ジャンプをくり返します。 ノミは、コップの外で飛び出せるぐらい、十分なジャンプ力があるのですが、 上部がフタで遮られているので、 何度トライしても、 フタにぶつかってしまい、外に飛び出すとはできません。 何度もトライしているウチに、 やがて、 ノミのジャンプ力が落ちてくるそうです。 その時点で、 上部をふさいでいたフタをソッと外します。 すると、障害物はなくなったのに、 ノミはもう、コップの高さ以上にジャンプすることができなくなっていて、 結局、外に飛び出すことはできなくなってしまうのだそう。「ノミの話」この子象の話と、ノミの話…。 有名過ぎる話なので あなたもどこかで 聞いたことがあると思います。 「どうせ…」とか言って、 人生をあきらめて生きていたらこの象やノミと同じ。 自分で勝手に植えつけた制限の中に、甘んじて生きている…。 あなたが抱えている制限は、あなたが自分で採用したもの。 すべては「思い込み」なんです。 親から? 先生から? 会社から? 社会から? 国から? 宇宙や神さまから? だけど、本当は誰も制限してないですよね。 制限は、あくまであなたの内面で勝手に作り出したもの。 どんなにあなたに制限を課そうとしても、 あなたがその制限を受け入れ、 採用しなければ、 あなたの中に、 制限など作られることなどないんです。 この事実をできるだけ早く、始めることが大事。 あなたの制限は、あなた自身が自分で作ったものです。 だから、その制限を外すのも、あなた以外には誰もできません。 「制限を外さなければならない」 と思ってしまったら それもまた、新たな「制限」になります。 「ここに自分の制限がある」と、気づけば、それでいいのです。 象のチカラをもってすれば、 小さな木を引っこ抜くなんて、カンタンです。 ノミ本来のジャンプ力をもってすれば、 コップの外に飛び出すことなんて、朝飯前…。 「どうすれば…」なんて、考える必要はありません。 「どうすれば…」と考えること自体、そこに「制限がある」と認めているから。 「できる」「そうなる」と知っているものに対して、 「どうすれば…」なんて、考える必要はなく、 ただ、その事実を素直に受け入れてしまえば、 勝手に頭はそれを前提に物事を動かすように考えるようになっていきます。 ホントに不思議なことに・・・。 「どうすれば…」と、 やり方を考えれば考えるほど、言い訳やできない理由が見つかって、 新たな制限が増えるだけなので、要注意です。 わたしは、 いつも「どうすれば・・・」と考え、 人のアドバイスをいちいち自分の頭で考えることなく聞いていたので、 制限がどんどんと増えて苦しくなっていました。 その制限があるということを自分の中で認めれなかったんですね。 「こんなところに制限があるんだな」と、 ただ素直に気づけば、それでいい、と気づいた時から 随分と、らくになってきました。 「制限がある」と認めればいいのですねーー。 もちろん、気づいたからって 昨日の今日でいきなり人は変わることはできません。 まだまだ「思い込み」のせいで 自分で自分の首を締めまくっているわたしですが、 それでもなんとかなるだろう、 ・・・そう思っています。それって・・・
上手くいかないと思っている人に共通する考え方。