レポート

人との出会いがわたしの人生をどんな奇跡を起こしたか?

最近、世の中では「自分らしく」だとか

自分の好きなことだけで生きて行く、などと言った話がよく出てきているそんな気がします。

いわゆる「自分軸」で生きるということに焦点が当たっている、そんな感じです。

「他人軸」ではなく「自分軸」。

わたしの周りもそこは例外ではなく、

わたし自身も「自分らしく」ということは何か、ということを毎日のように突きつけられています。

今もまさに、仲間とその話のミーティングをしています。

 

人にはそれぞれ「世界観」がある。

 

何か「こと」を起こそうとするとき、

見込み客になる人たちにその「興味」を持ってもらうために

ストーリーで興味を持ってもらって、事例や世界観を伝えることは大事なことです。

最近ここをしっかり見つめるためのワークを仲間うちでやっています。

だけど、ここであることにわたしは気がついてしまったのです。

普通の人たちがこだわっている肩書きは、わたしにとってはどうでもいい、と思っていること。

実際は何屋さんでもそんなことはよくて、

今、やっているそのことにどれだけ人生を賭けれるか、ということを大事にしたい、

そう思っている、ということに最近気がついたのです。

 

じゃ、自分が提供しているサービスが、

人にとって必要かいなか、ここをしっかり考えていきます。

仲間内でも、この部分を考え方をきちんと共有するためにすり合わせしていきます。

自分たちがやっていることをどうやってビジネスにするか、という打ち合わせなので、当然です。

そして、ここが一番ブレてしまうといいサービスを提供できなくなってしまいます。

 

今日物凄く「腑に落ちたこと」

 

一緒に頑張る仲間に「占いカウンセラー」のサービスをしている人がいます。

その方のサービスページや広報のお手伝いをするにあたり、そこもみんなで深めるために

ワークをしたり話をしていました。

そこで、わたしもめちゃくちゃ気づきがありました。

 

現実の世界というものは本当は中立であり、

一人一人のいままで生きてきた中で植え付けられた常識や価値観や固定概念などの解釈です。

これは心理学では「フィルター」と言われます。

常識というものは、一人一人違うのであれば、人の数だけあるものです。

なのに、人は自分の中での「正しい」ということを振りかざしてしまうのはなぜでしょう。

そうなってしまうと、あってないようなものです。

現実はただの映像で

映画館で映画を見ていて、その映像に勝手にセリフをつけているってことです。

と言うことは・・・。

一人一人のマイワールドの解釈が「幸せ」なのであれば、人は「幸せ」になるのです。

常識は人の数だけある。

だけど、だけど、世界ではマナーとしてのルールはある。

わたしがお世話になっている、神戸のクリエイティブ・ペアのいけちゃんとこてらちゃんの例を出していました。

いけちゃんはいつもカジュアルな服装をしています。

普段はそれでいいんですけど、

こてらちゃんはちゃんとした席に一緒に行く時には、それでは嫌だから、といけちゃんに言います。

※これはあくまでも一つの例です。

 

まえけん
まえけん
もうちょっとちゃんとした服装してよ。
なんで?
まみ助
まみ助

まえけん
まえけん
普通はそうでしょ。
でも、ちゃんとしたところにはちゃんとした服装で行くのが当たり前なんで、
ちゃんとした格好をしてください。

別に人にそう見られてもどうでもいいし。
まみ助
まみ助

 

いかがでしょうか?

人間関係では、間違い探しをしてはダメ、です。

自分が正しいという前提ではなく、

「間違い」という言葉も、「間」を取るとうまく行く場合が多いのです。

違いを知る、ということは、どれほどに大事なことか。

「そういう考え方なんだね・・・でもそういう違いがあるんだね」

正しい間違いはない、とわかっているだけでも

ストレスが少なくなります。

正しい、間違いの中で生きていると

ストレスの中で生きていかないといけなくなります。

人間だから感情と思考にまみれてしまうのは仕方がないことです。

普段はニュートラルだったとしても、何か起こった時にはマイナスにフレると、ブレブレな状況になります。

その振り幅が短くなると、生きやすくなります。

ここの振り幅をすぐにニュートラルの領域に戻れるようになることになります。

それには・・・物事は、絶対に正しいということはない、と気づくことです。

 

まえけん
まえけん
もうちょっとちゃんとした服装してよ。
なんで?
まみ助
まみ助

まえけん
まえけん
普通はそうでしょ。
でも、でも、ちゃんとしたところにはちゃんとした服装で行って欲しい。
オレが一緒に言われるとイヤやから。
ちゃんとした格好をしてください。

 

あ、まえけんが嫌がってる!
彼のためにも、ちゃんとした格好しないとあかんな。
まみ助
まみ助

 

 

前回とは違うのはわかりますか?

前回は「あなたのために」という”YOU”メッセージです。

だけど、今回は「わたしのために」という”I”メッセージなんです。

とっても面白いミーティングになりました。

その一部、ご紹介ーー。

 

セミナーやるぞ!(やったぞ!)

 

ところで、10月29日次の月曜日にわたしは自分のやっているサービスを

もっと人にわかってもらうために作った、セミナーをすることになりました。

わたしの仲間がわたしに会いたいからって、わざわざ仲間を集めて東京にわたしを呼んでくれたのです。

 

世の中には、自分でセミナーをやって、だとか

自分の商品を一生懸命アピールしている人は多いです。

「わたしのために」という”I”メッセージ

 で物事を発信している人があまりにも多過ぎます。

ビジネスにするために、お金をいただくために。

ここ、絶対に独りよがり、というか、自分目線で情報を発信してしまってはダメ、だとわたしは考えています。

確かに、アーティスト気質なご自分そのものを売っている人ならば、あくまでも自分目線で発信することは

そのことが大事です。

最近色々作業する中で、いろんな気づきがあったのですが、

一番自分で自覚して腑に落ちたことは、わたしは決して「アーティストタイプ」ではない、ということです。

わたしは自分の考えとか、自分が作ったものを

全面的に人に知ってもらうために文章を書いているわけではありません。

人を応援したい、ただそれだけです。

自分ができることで、人をお手伝いできればいいな、と思っています。

それがお金に替えることができるなら、これ以上に素敵なことはない、そう思うのです。

お金って、感謝の対価だと思うのです。

 

原理原則の話

 

自分自身に言い聞かせる為にも、原点の話をします。

何か提供したものがある、とします。

例えば・・・

貴方が誰かから美味しいりんごをもらいました。

誰かから何かをもらったら、何となく嬉しいです。

どうしても欲しいものや必要なものだったらお金を払ってモノを買います。

「一個100円です」

と言われたら、「しょうがないな」とお金を払うと思うけどプレゼントされたら、ちょっと嬉しくないですか?

この人いい人だなって思うかもしれません。

何かお返ししようと思うのかもしれません。

何か誰かに何かをあげると

お金をもらえるかなのですが、お金をもらえなくても、それは信頼残高になります。

 

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